神戸のルミナリエ
おはようございます。
西の結婚女王 帝王学推命 万野愛果です。
12月は、8日から神戸でルミナリエが開催されています。
私もルミナリエは、とっても好きで好きな人と行った思い出があります。
もちろん、今のクマ五郎とは違うのですが^^;
今のクマ五郎は、出不精なのでデートをした思い出が
ありません・・・
なのでクマ五郎は、削除してここは、美しい思い出を書きたいと思います。
震災から始まった神戸のルミナリエですが、このルミナリエを多くの人が訪れてくれて鎮魂の気持ちを持って
訪れてくれていることに感謝です。
私が、この神戸に生まれて育ったのは、7歳ぐらいまでだったのですが、ここでの暮らしは今でも鮮明に覚えています。
日赤病院の奥にある小さな長屋に住んでいました。
その長屋には、トイレが2世帯が使う外のトイレのある
古びた2間しかないお家でした。
隣のおじさんとおばさんは、仲が悪くていつも物を投げて言い争う声が聞こえていて、子供心にどうしてそんなに喧嘩が好きなんだろうと思っていたのを思い出します。
私の母と父は、ひっそりとした人で二人共よく働き
笑顔の絶えない家族でした。
父の仕事が関西汽船の社員でしたが、おとなしい父が
上司を殴って辞めたのは、私が生まれて間もないときだったと母が教えてくれました。
そんな父は、鹿児島生まれで実は、気性の荒い男らしい
人で、両親が早くに亡くなっていたので田舎で暮らしていく事も大変だと思って
一番上の姉を頼って神戸に上京してきたのです。姉のご主人(弁護士)は、長田に住まいを持っていて
父は、そこで牛乳配達をしたりおじさんの副業だった軍手作りを手伝ったりして暮らしたそうです。
お金は、貧乏で両親が早くに亡くなっていたので大学には行きませんでしたが、英語が、ペラペラの独学にしてはびっくりする程の人でした。
これは、父が甲状腺癌になった時にお医者様のカルテを書いているのを見て自分の病気を知った経緯から知りました。(殆どのお医者様は、ドイツ語では無く英語でカルテを書いているので)
上司を殴って関西汽船を辞めた父は、アメリカからジュークボックスやインベーダーゲームを輸入してその機械の修理や貸付をしていたということでした。
もちろん、独学で機械を勉強していたので家の2間には、ブラウン管や機械の盤がたくさんゴロゴロしていました。
私たちは、コンセントというと今では100金で買ってきて使えますが、同時は、私を含め兄妹は、コンセントを使おうと思ってもそこにあるコードとコンセントの頭をねじ回しで回してペンチでコードを切って繋いでいたのを覚えています。
そんな貧乏な子供時代でしたが、神戸の震災の時に長田には、そんな長屋が多く存在していました。
当時の首相は、震災の時に長田に火事が起こった時
空からの消火剤を巻かなかった事で丸焼けになった事を
今は、どのように思っているのだろうか?
もうこの世にはいない方なのでそんな事をいうと
炎上しそうなのでいえませんけどね・・・^^;
そんな事をよくこのルミナリエで思い出します・・・
人には、決断をくださないといけないときがあります。
その時に勇気を持って正しいと思って進むだけでなく
その後にどのような結果を招いて対処が出来るのかをよく考えてから進んでいきましょうね。
今日は、待機時間が迫ってきていたので文章がぼろぼろですが、お許しくださいね。
今日は、神戸の空は、明るいです。
夜のルミナリエもきれいに映るでしょうね。
お友達と行きたいです(^^)
友人のたまちゃんでも誘おうかなぁ〜
その前に仕事しないとね^^;
皆さまにとって今日も素晴らしい一日になりますように
西の結婚女王 帝王学推命 万野愛果