執着について
あなたは執着したことはありますか?
そもそも「執着」とは
あれが欲しい。これが欲しい。
あれは手放せない。これは捨てられない。
その様な感覚のことなのでしょうか?
今回は、以前SATORIで書いた
「諦めるよりも粘ることを」を
更に掘り下げて執着に絞って書いています。
目次
<執着は勘違いから生まれる>
<勘違いをしないために>
<執着と粘るの違い>
<執着は勘違いから生まれる>
物質的なもの、人財的なもの
様々な物を人は手に入れたいと願います。
でも世の中には
どうやっても手に入らない物があります。
例えば、個人として恋人を求めたり
または、組織として人材を求めている時に
片思い・横恋慕等になってしまうならば
それは手に入らない物です。
以下は、手に入らない事例です。
⚪︎「まだなんとか出来るはずだ!」と
結果は明らかなのに無茶をする。
⚪︎誰かが邪魔をしているから
手に入らないと他人のせいにしている。
⚪︎既婚者を配偶者と別れさせた上で
その人と結婚したいと願う。
⚪︎これがどうしても必要と思い込む。
⚪︎誰かを蹴落としても手に入れたい
⚪︎何があっても手に入れると決意する
これらが「執着」です。
「執着しているもの」は手に入りません。
何故なら「あなたが執着しているもの」は
あなたに「必要が無いもの」だからです。
つまり
現在のあなたにとって「必要の無いもの」を
「必要だと勘違い」をして欲しがる。
それが「執着」なのです。
ちなみに執着と退屈は密接な関係です。
「退屈について」も同時に読んで下さい。
<勘違いをしないために>
ところで「執着」はとても疲れます。
必要が無いのに「必要だと勘違い」して
手に入らないのに一生懸命努力するのです。
疲れる上に、それこそ「時間の無駄遣い」
あなたの時間がもったいないです。
だから「執着」しない人生を歩みたいです。
そもそも
あなたの「普段の意識」である
表層意識・顕在意識は勘違いに気付かずとも
いわゆる「無意識」である
深層意識・潜在意識は既に気付いています。
ただ単に、あなたが........
ということで
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