性善説なのか性悪説なのか
みなさん、おはようございます!
よく十人十色と言いますが、本当にいろんな個性的な人たちが世の中にいらっしゃるなと常々思っています。
さてそんな人間関係の中で、とても大切なものの一つとして「信頼関係」というものがありますね。
この信頼を勝ち取るのに、いろんな経緯や関わり方があるかと思います。
短時間であっという間に信頼してもらえることもあれば・・・
じっくり時間をかけて信頼を深めるなんてこともありますね。
しかしどんなに丁寧に積み重ね、勝ち取った信頼でも一瞬で亀裂が入り、失ってしまうことがあります。
自分がしてしまった失敗であれば、原因を把握して反省して、謝罪した上で、また信頼を取り戻すことができるかも知れません。
しかし相手が何か信頼を損なうことをしてしまったらどうでしょうか?
一旦はとても嫌な感情になってしまうかも知れませんが、情状酌量の余地があると考えて、理解しようとか許してやり直そうと考えますか?
それとも、こんなことで裏切られるなんて!という感情がとめられなくなってしまいますか?
これは中国の儒教で、二人の思想家が説いた話に共通すると考えます。
孟子は「性善説(せいぜんせつ)」を説きました。
人は生れながらにして善であり、ほおっておいても悪に染まることはない。もし悪になるなら後天的な経験によって悪に染まってしまうという意味になります。
これとは反対に・・・
荀子は「性悪説(せいあくせつ)」を説きました。
人は生まれもって悪であり、ほおっておくと悪いことしかしない。故に世にある善は全てが偽りであり、善であろうという絶え間ない努力を積み重ねてゆく事によって本当に善に近づいて行けるという意味になります。
性善説をお心に持っている方は、許すという事をすんなりとできるかも知れません。
性悪説を感じている方は、相手の裏切りをいつも気にしてしまうかも知れません。
許す事で物事が好転してゆくチャンスが得られるという真理もあります。
お相手のことを許す考え方を早めに切り替えられたもん勝ちなんだと思います。
であれば性善説でいきたいですね。
今日も心をクリアにして、みなさまのお悩みに向き合わせていただきます!
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今日もどうぞよろしくお願いします!