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樹羅先生

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まず自分。分かち合いの喜びは、その後で。

まず自分。分かち合いの喜びは、その後で。

「孤独感」という言葉があります。

孤独感は、必ずしも、孤独な境遇にあって感じるものとは限りません。



週末にデートをするステディな恋人がいる人でも、あるいは、結婚して旦那さんや奥さんやお子さんがいる人ですら感じる可能性があるのが、孤独感というものです。



どんなにワイワイと楽しく過ごしていても、ふとした瞬間、孤独感は、スッと心の隙間に入ってきます。



多くの場合、人は無意識に、この孤独感を打ち消そうと、他者を求めます。他者とつながろうとします。現在のSNS全盛時代も、人の持つ、こうした根源的な欲望に対して、テクノロジーが最大限に応えるかたちで必然的に築かれてきたものと言えるでしょう。



「人とつながることは嬉しい」

「人と分かち合うことは楽しい」

―たしかに、その通りです。



綺麗な景色を見ても、美味しい料理を食べても、たった一人で自己完結しているだけでは、何かが足りないと感じがちです。



SNSを通して、他者と分かち合いたい。他者と楽しさを共有したい。さらに言えば、自分自身が楽しい嬉しいと感じたことを、他者に共感してほしい。



しかし、ここで、ちょっと気をつけたいことがあります。



それは、「他者と分かち合いたい!」と分かち合いの喜びを求める余りに、自分自身の行動基準が、いつの間にか、自分自身の中心軸から他者の中心軸へとずれてしまう危険性があるという点です。



「他者からどう見えるか?」ということを考えてはいけないというわけではありません。



自分自身が、他者からどう見えるか?ということについて配慮するのは当然のことですし、往々にしてそれは、エチケットですらある場合も多いことでしょう。



私が申し上げているのは、そのことについてではありません。



分かち合いの喜びを求める余り、いつの間にか、自分自身のあり方や、自分自身の生き生きとした生き方や、自分自身の素直な個性というものが、ともすると、ないがしろにされてしまう危険性があることについて、警鐘を鳴らしたいのです。



人生には、なるほど、喜ばしい出会いがあります。友人、恋人、夫、妻、子ども等々、こうした出会いは、人生における無上の価値と言っても差し支えない喜びを与えてくれるものでしょう。



しかし、その前に、自分自身の意識、自分自身の考えというものを、しっかりと定めておかなければなりません。



端的に言えば、「自分は、何を選び、何を捨てるのか?」、そして、「なぜ自分は、それを選び、これを捨てるのか?」という人生における選択と選択の理由を、言葉で明確にしておくということです。



ここをハッキリとさせておくことができれば、正しく分かち合いの喜びを享受することができます。



時折、あなたの心に訪れる孤独感も、微笑みをたたえて歓迎することができます。



「親しい人がいても私は寂しくてたまらない・・・」などと、不毛な愚痴を繰り返さずに済むのです。



まずは、自分の立ち位置を、しっかりと見定めましょう。



「自分は、なぜ、そこに立つのか?」、「自分は、なぜ、そう立つのか?」、自分自身が、あるあり方を選び取る由縁を、「自分なりに」で構いません、「言葉を使って」、「明確に」考えてみましょう。



そして、自分なりの結論を出すのです。



―まず、自分。分かち合いの喜びは、その後で。

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