人の、「見た目」・「味わい」・「値打ち」
「見かけによらず、○○さんは・・・」などという言い方があります。
何も人に限ったことではありません。
あらゆる物事において、「見かけによらず」ということが存在します。
ところが、多くの人が、物事の価値や力量、質の高さなどを判定する際に、何となく「見かけ」・「見た目」の印象で判定してしまうことが多いのです。
書店に行けば、「人は見た目が9割」だと主張する本が飛ぶように売れ、テレビのスイッチを入れれば「人は見た目が100パーセント」という番組が放送されています。
なるほど、見た目で判定できることは、たしかに存在しますし、背中一面に立派な入れ墨の入った方々が、公衆浴場への入場を規制されていることにも、まったく理由がないわけではないということは、よく分かります。
しかし、私は、それでも、プライベートな友人や恋人、結婚相手といったような、人生における重要な人選を行う際には、あまり、見た目の印象に引きずられすぎないようにすることを、ご注意申し上げたいのです。
私がそう言えば、「その通りです!私は、彼を選ぶ際、一度たりとも、お腹の中で、そろばんを弾くことを忘れたことはありません!」と元気よく答えて下さる方も、いらっしゃるかもしれません(笑)
たしかに、そういうことも、大切なことではあります。
恋愛は、それが本物であればあるほど、やがては、結婚へといたる可能性が高いものです。
もちろん、結婚へと至らない恋愛の価値が低いと申し上げているわけではありません。
結婚、あるいは、同棲でもいいのですが、愛し合う2人が、やがて、実生活をともにするような局面に至った場合、ある意味で、抽象的なロマンスに過ぎなかった茫洋とした関係性が、買い物に出かけ、家に帰り、買った品物を冷蔵庫に入れ、台所で料理を作り、出来上がった料理を食べ、食べ終わった食器を洗い、部屋の掃除をし、風呂に入り、人によっては、家計簿をつけ、というような、具体的で生々しい生活そのものへと、ステージが変わっていくのです。
ロマンスという魅惑的な非日常が、平々凡々たる日常そのものへと姿を変えていったとき、生活が、まったく成り立たず、2人の愛し合う心まで、ガラリと様変わりをし、冷え切ってしまった・・・
このようなお話は、枚挙に暇がありません。
そういう意味では、お付き合いの段階で、そろばんを弾くことは、一応、非常に重要なことであると申し上げておかなければならないでしょう。
それでは、実生活が、しっかりとしていればいるほど、幸福になれるでしょうか?
なれる!という確信のある方は、経済力を基準に、パートナー選びをするのも、悪くはないと思います。
ただ、多くの人が、自分は、そういうタイプだと思いながら、経済力を基準にしてパートナーを選び、結婚に至り、思いの外、寂しい思いをする結果を招いていることも、多くの事実が物語っているところです。
経済力のある人の多くは、時間的に忙しいことが圧倒的に多く、パートナーと一緒にいる時間が、限られていることがほとんどです。
経済力は豊かですから、その一緒にいられない埋め合わせに、「お小遣い」をもらうことはできます。
しかし、その段階まで来て、やっと、気付くのです。
実のところ、自分が本当に欲しかったものは、豊かな経済力などではなく、愛するパートナーに、女としてかわいがってもらうことだったということに・・・。
もしかしたら、あなたは、あなたが思うほど、そろばんを弾くことを最上の価値と奉じる守銭奴などではないのかもしれません。
案外、あなたの心は、愛すること・愛されること・愛し合うことに無上の喜びを感じる、ピュアで美しい少女のままであるかもしれないのです。
―もし、そうだとしたら・・・
もし、そうだとしたら、あなたは、あなたを取り巻くパートナーやパートナー候補達に対する評価を、細かく多面的に見直しながら、再検討する必要があるかもしれません。
一見、冴えないサラリーマンに見える彼。
朝は、後頭部にビヨ〜ンと寝癖を拵えたまま出勤してきます。
顔を見れば、眠そうな顔立ちで、あなたの食指は、俄に動きません(笑)
しかし、これだけで、寝癖リーマン君に対して、不合格の通知を渡してしまうのは、早計です。
頭は寝癖を付けたままだけれど、いざ、仕事を始めると、卓越した能力を発揮する人かもしれません。
恋人として付き合いだしたら、寝癖君には、ほんわかとした優しさがあって、日々のストレスでとげとげしたあなたの心が、大いに癒やされた・・・ということもあるかもしれないのです。
一見、貧弱に見えた彼も、服を脱いだら、案外、筋肉質で、ドキッとするということもあるかもしれませんし、趣味の領域では、彼は、すさまじいエキスパートなのかもしれません。
パートナーの魅力というのは、とても多面的で、多くの場合、見た目の印象を遥かに超えているものです。
「見た目の印象が9割」どころか、「見た目は、その人の氷山の一角」に過ぎないというのが、本当のところです。
あなたは、あなたの本当の姿を、あなたの本当の心を、あなたの本当の能力を、あなたの本当の魅力を、素っ裸のまま、全身の毛穴大全開で、さらけ出して生きていますか?
おそらく、そうではないでしょう。
自分自身の一番、重要な部分は、よいところも、そうでないところも、しっかり隠してコミュニケーションを取るのが、普通なのです。
そして、人間関係の仲が深まるにつれて、少しずつ、自分自身の本当の姿も、伝えていくようにする。
これが、当たり前なのです。
ということは・・・どういうことなのでしょう?
そう、人は、見た目が9割とか100パーセントというのは、「本当は嘘」だということです。
あなたが、あなた自身の重要な部分を、しっかり隠してコミュニケーションを取りはじめるように、他の人の多くも、その人の本質に関わる重要な情報が外に出ないよう、自分自身の印象をコントロールしています。
見た目で、すぐにピン!と分かることも、ありますが、それは、ほんの少しのことです。
人を見るとき、頭でその人の要素をバラバラに分解し、品定めをするのも大切ですが、同時に、その人を、もっと感じましょう。
その人の人柄をじっくりと感じ、落ち着いて味わうのです。
これは、同じ感じ方ではあっても、ドキドキして舞い上がっているというのとは、また違う感じ方です。
こうして、あなたが、じっくりと落ち着いて感じられる彼という人柄の味わいは、彼の持っている経済力と同じか、それ以上の価値を、あなたにもたらします。
そして、やがて、あなたは、気付くでしょう。
パートナーの価値に限らず、物も、景色も、美術作品も、音楽も、ありとあらゆる存在の値打ちというものが、その味わいにあるということを・・・。
真にそれを知り、味わえるということが、「成熟」という言葉の、ひとつの意味なのです。
人や物事を、多面的に捉えつつ、ひとつずつ、ゆっくりと味わいを発見することによって、深く洞察していくことは、あなたの運をよくするための有力なひとつの方法です。
明日から、あなたを取り巻く人々の一人一人を、初めて見る人のように、見直してみて下さい。
初めて見る人のように、その人の個性や味わいを、見つけだしてみて下さい。
箇条書きにして、紙に書き出してみると、どんどん面白くなってきますよ。
人が好きになってきます。
あなた自身が、「人が好きな人」になり「人が好きな人のオーラ」を身にまとうことができるようになると、なぜか、あなたに運が向いてきます。
試してみて下さいね。