「他人に認められたい」は足枷
本日は「他人に認められたい」は足枷、です。
みなさんも、誰かに認められたい、そのために努力をしていませんか?
でも、それが足枷になってしまうというお話しです。
今、あなたは他人に認められるだけの能力やスキルが身につかなくて、前へ進めない!
なんてことになってはいませんか?
なぜ他人に認められなければいけないと考えるのでしょうか?
それは特別になりたいからです。
特別とは誰も持っていない能力があって「すごいね!」と言われる存在のこと。
そして、そうでなければ人間に価値はないと思い込んでいます。
この思い込みは厄介です。
できるわけもない夢物語を自分に演じさせなければならないのですから。
自分以外の自分にならなければ人には認めてもらえないと考えているのですから。
本当にそうでなければ他人に認められないのですか?
そもそも、私たちは誰か他人に認めてもらわないといけない存在なのでしょうか?
それは違います。
根本的に認めてもらう相手が間違っています。
他人が認めるということだけをピックアップするなら、まずは自分がそのまんまの自分を認めるという作業が必要です。
そう、認めてくれる相手はあなた自身です!!
これが出来ていない人は、そもそもきちんと他人から認められることはありません。
ゴマスリや、おべっかを使われることはあっても、本気で認めてはもらえません。
だって、勝手に価値観を作りそれに当てはまらなくては自分を認めないなら、他人のこともその価値観に当てはまらなければ認めないでしょ?
他人をジャッジしているなら、他人があなたを認めるはずはないのです。
ただし、好き、嫌いはジャッジとは違うので分けてくださいね。これは好み、なので。
ここで言っているのは「立派な人、すごい人、でなければならない」という価値観です。
「手を抜いてはいけない事」でも書いていますが、
経済的優位、知識的優位、身体的優位、立場的優位、社会的優位など、こんなことを基準にするのは意味がありません。
これらは、ただの足枷。
浅はかな、ただの人間という種族が作った、短絡的なジャッジシステムでしかないのですから。
つまり「他人に認められたい」は、浅はかな人間という種族が作った基準を大事にする、という間違いを犯していると言う事です。
間違ったなら、修正しちゃいましょう!
そのまんまの自分、自分勝手でわがままで、でも正直な自分。
まずはそれをそのまま生きてみましょう!
今まで認めて欲しかったジャッジが好きな他人には、認めてもらえないでしょう。
でも、その代わり、そのまんまの自分を認めてくれる人が現れるはずです。
それは自由で、広々としていて、安心で、快適なはずです。
足枷のない、本物の人生を生きてみませんか?
ちなみに本物の人生に移行すると自分に必要なものが勝手にやってくるんですよ、不思議とね。